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秋の新宮市周辺の紅葉特集

紀州MAP 秋の和歌山県と三重県の紅葉特集

神倉神社詳細

神倉神社詳細

神倉神社は、熊野速玉大社の摂社である。市街地北西部にある千穂ヶ峯の支ピーク、神倉山(かんのくらやま)の山腹・標高80メートルほどの場所にあり、境内外縁はただちに断崖絶壁になっている。山上へは、源頼朝が寄進したと伝えられる、急勾配の鎌倉積み石段538段を登らなければならない。


                  境内

『紀伊続風土記』が伝えるところによると、現社殿の外の崖上に拝殿があり、御供所、満山社、子安社などがあったが、1870(明治3)年の台風で倒壊した。1907(明治40)年には、熊野速玉大社に合祀されるなどした時期もあったが、1918(大正7)年、岩下に祠を再建したのを手始めに、昭和期に社務所、鳥居などが再建された。現在の山上にある丹塗りの社殿もこの時期の建立である。

 山上にはゴトビキ岩(「琴引岩」とも。ゴトビキとはヒキガエルをあらわす方言)と呼ばれる巨岩がご神体として祀られており、この岩の根元を支える袈裟岩と言われる岩の周辺には経塚が発見されており、祭祀具・仏具などの遺物が多数出土している。

山上にはゴトビキ岩(「琴引岩」とも。ゴトビキとはヒキガエルをあらわす方言)と呼ばれる巨岩がご神体として祀られており、この岩の根元を支える袈裟岩と言われる岩の周辺には経塚が発見されており、祭祀具・仏具などの遺物が多数出土している。この経塚のさらに下層の地層からは、銅鐸片や滑石製模造品が出土している。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

社殿名 祭神名 本地仏名
第一殿 結宮 熊野夫須美大神
伊弉冉尊
(千手観音)
第二殿 速玉宮 熊野速玉大神
(本殿)伊弉諾尊
(薬師如来)
第三殿 証誠殿 国常立尊
家津御美子大神
(阿弥陀如来)
第四殿 若宮 天照皇大神 (十一面観音)
第五殿 禅児宮 天忍穂耳尊 (地蔵尊)
第六殿 聖宮 瓊々杵尊 (竜樹菩薩)
第七殿 児宮 彦火々出見尊 (如意輪観音)
第八殿 子守宮 ウガヤフキアエズ尊 (聖観音)
第九殿 一万宮 国狭槌尊 (文殊菩薩)
十万宮 豊斟渟尊 (普賢菩薩)
第十殿 勧請宮 泥土煮尊 (釈迦如来)
第十一殿 飛行宮 大斗之道尊 (不動明王)
第十二殿 米持宮 面足尊 (多聞天)

速玉大社詳細

熊野速玉大社は熊野川河口近くに鎮座し熊野年代記に寄れば、最初は神倉山に天降りました熊野三所権現(熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神)を景行年間に現代の場所に遷座し新しいお宮なので新宮となずけられました。神倉山の元宮は現代は速玉大社の摂社となり神倉神社と呼ばれています。御神体はゴトビキ岩と言われており神々が降臨したと言われる巨岩です。

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丹鶴城跡

丹鶴城詳細

新宮城は、熊野川沿岸の田鶴原(たづがはら)とも呼ばれるあたりの小高い丘(現在の和歌山県新宮市新宮字丹鶴)に築かれた平山城である。別名、丹鶴城は、もとこの地に、源為義と熊野別当の娘の子である丹鶴(たんかく)の住まいがあったとすることからである。ちなみに、新宮城築城を計画した堀内氏の祖とされる新宮行家(源頼朝の叔父)は丹鶴の子である。現在の地に築城したのは浅野忠吉である。大小の天守や鐘の丸、松の丸のある姿となったのは水野2代重良の頃であ

堀内氏時代の城跡は、全龍寺の境内となり、寺の西側に水堀が残る。浅野・水野氏時代の城跡には石垣が残されている。 現状は、本丸付近は丹鶴公園となっており、地下には紀勢本線のトンネルが通されている。また東側の一部は天理教南海大教会の敷地の一部になっている。現在、新宮市では天守の再建も視野に入れた整備計画が進行中である。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

徐福公園

徐福公園詳細

徐福公園(じょふくこうえん)は、和歌山県新宮市新宮7178番地にある、徐福を記念する公園である。

元来この地には徐福の物とする墓があったが、1994年(平成6年)の8月にそれを中心として今ではこの公園の目印ともなっている中国風の楼門を設置するなど、大々的に整備が行われ現在のような公園となった。

徐福伝説

伝承によると、徐福は秦の始皇帝に東方にある蓬莱・方丈・瀛州に不老不死の霊薬があると具申し、命を受けて財宝と共に数千人を従えて秦から東方に船出したというが、その内蓬莱に当たるのがここ新宮とされていて、徐福はその後新宮に住み着いたという。ここに住み着いた徐福とその従者たちは大陸からの文化や農耕、捕鯨や漁業に関する技術を新宮の人々に伝え、ここ新宮の地で歿したと伝わっている。

この公園にある徐福の墓は、江戸時代の元文9年(1736年)に建立されたもので、紀州藩初代藩主である徳川頼宣が儒臣の李梅渓に「秦徐福之墓」の文字を書かせたものと伝わっている。

浮島の森

浮島の森詳細

和歌山県新宮市にある日本最大の浮島である。島全体と島が浮かぶ沼池の底が植物遺体に由来する泥炭で出来ており、島状の部分では30〜60cm、沼底部では少なくとも300cmの厚みがあることが確認されている。

浮島を形成する泥炭は沼沢地で形成されたものである。縄文時代前期の海進期には、海岸線が現在の新宮市街に大きく侵入しており、現在の新宮市中心市街の全体が入江状の湾(内湾)になっていた。浮島周辺の地層は、新宮市域の地質の基盤となる熊野層群および熊野酸性火成岩類の上に成立した沖積低地である。この沖積低地の地質的構成は、礫・砂・シルトからなる下層部の上に海成シルト質粘土層が積み重なり、そのさらに上層が泥炭層となっている。この海成シルト質粘土層は有機物に富み、潮間帯に生息する巻貝や内湾底に生息する二枚貝などの化石が多く産するほか、下層部との間に、およそ6300年前のものと推定されるアカホヤ火山灰層がある。これらのことから、「「浮島」は、内湾から沼沢へという変遷を経て、沼沢の中で成立したものであるといえ」、熊野川のはたらきによる形成を示す証拠はみられない

二月の行事特集”お燈祭り”

お燈祭り

毎年2月6日夜に行われる神倉神社の例祭で古代以来の熊野山伏の伝統をもつ。 白装束に荒縄を締め、御神火を移した松明をもって、神倉山の山頂から急な石段を かけおりる男の火まつりである。
 このまつりは火の洗礼を受けるものとして始められたもので、炎の奔流は闇に火の斑を撒いて躍動し、その壮観さは、新宮節にも唄われているとおり「お燈まつりは男のまつり 山は火の滝、下り竜」そのものである。